教皇、主の受難の観想へと招く、お告げの祈りの言葉で
教皇フランシスコの4月13日(日)のお告げの祈りの言葉が、バチカン広報局より発表された。
「受難の主日(枝の主日)」と共に、復活祭直前の「聖週間」に入ったこの日、教皇は、バチカンでとり行われたミサの終わりに会場に姿を見せられ、参加者らにあいさつをおくられた。
また、ミサの中では、司式者のサンドリ枢機卿により、教皇の説教が代読された。
一方、同日のお告げの祈りのために教皇が用意されたテキストは、広報局を通して公布された。
この中で教皇は、ルカ福音書が語る「主の受難」(参照 ルカ22,14-23,56)を観想。受難に向かうイエスの御父に対する言葉と思いを自分たちのものとするように招かれた。
さらに、教皇はアピールとして、内戦開始からまもなく2年が経過するスーダンに暴力の停止と対話の道を呼びかけている。
教皇のお告げの祈りの言葉は以下のとおり。
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今日、「枝の主日」、わたしたちはルカ福音書が語る「主の受難」(参照 ルカ22,14-23,56)に耳を傾けました。わたしたちは、イエスが何度も御父に語りかけるのを聞きました。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22,42)。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです」(同23,34)。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(同23,46)。無防備に侮辱を受けるイエスが、父の首に抱きつく子どものような思いと心をもって、十字架へと向かっていくのをわたしたちは見ました。その肉体はもろくとも、御腕の中で死の眠りにつくまで、御父にすべてを委ねる強い信頼に満ちていました。
典礼はイエスのこれらの思いを観想し、それを自分たちのものとするように招いています。わたしたちは皆、肉体的、あるいは精神的な苦しみを抱えています。しかし、信仰は、絶望に陥ることなく、つらい思いに自らを閉ざすことなく、イエスのごとく、御父の摂理と慈愛に満ちた抱擁を感じながら、それらに立ち向かえるように助けてくれます。
姉妹たち、兄弟たち、皆さんの祈りに深く感謝します。身体が弱っている今、神の寄り添い、いつくしみ、優しさをより感じることができます。わたしも皆さんのために祈ります。苦しむすべての人々、特に戦争や貧困、自然災害に苦しむ人を、わたしと共に主に託してくださるようお願いします。特にサントドミンゴにおけるクラブの屋根崩落の犠牲者の方々のご冥福と、遺族の方々への神の慰めを祈ります。
4月15日は、スーダンの紛争開始から、2度目の悲しい記念日にあたります。この紛争では数千人が亡くなり、数えきれない家族が避難を余儀なくされました。子どもたち、女性たち、弱い立場に置かれた人々の苦しみは、天に向かって叫び、わたしたちに行動を促します。暴力を止め、対話の道を歩むよう、双方の当事者に改めて訴えると同時に、住民に必要不可欠な援助が欠けることがないよう、国際社会にお願いしたいと思います。
また、50年前、悲劇的な内戦が始まったレバノンを心に留めましょう。レバノンの人々が、神の助けによって平和と繁栄のうちに生きることができますように。
苦しむウクライナ、パレスチナ、イスラエル、コンゴ民主共和国、ミャンマー、南スーダンに、待たれる平和が訪れますように。
わたしたちがこの恵みを得られるように、また聖週間を信仰をもって生きることができるように、御悲しみの聖母、マリアの助けを祈りましょう。